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花の美について


「花は美しい!」 誰も異論を挟まないほど、この形容はよく使われています。確かに

は美しいし愛らしいものです。もっともそうでない花も一部あるようですが、それら

は大
きな植物園か、南方の国々辺りでしか見うけられません。普通我々が目にする

花は殆
ど美しいものです。美しいからこそ観賞用として多用されるのでしょうし、又、

花の進化
過程においても種の存続に適合しているわけです。

美しい花は眺めているだけで美的感覚が刺激され、なぜか心が和み幸福感さえ感じ

せてくれます。更にその自然の微細な造形美や、生き生きとした姿は見るものに

生命
の神秘さ尊さまでも訴えかけてきます。花は自然の造形美の中でも最たるもの

の一つ
です。それ故に人類は有史以来様々に、神話や詩歌に託して花の賛歌を詩

いあげてき
たのです。これからも未来永劫にその伝統は続いていくことでしょう。又、

愛し続けら
れるでしょう。只、地球環境がこれ以上に悪化しない限り・・・。

花は、写真を撮るものにとっても格好の被写体です。美しいから撮るのであり、単純

快な理由です。しかし単に花を写したから、或いはその姿形を微細に描写できた

からと
いっても、それは元の花の美しさには及ばないでしょう。何故ならそれは単な

るコピーで
しかないからです。このことでよく耳にする言葉があります。「花はやはり

生きた実物の
方が良い」と。つまり、写真では生きていないからだというのです。

では何故、生きている花が美しく、生きてなければ美しくないのでしょうか? この辺

のことをよく考えてみなければ、写真で花の美を表現するのは難しくなります。 

ところで
花が生きているということは、土に根付き、光を浴び、風雨に打たれ、まさに

呼吸してい
る状態をいうのでしょうが、言い換えるとそれは周囲の環境に必死に適

応し、その命と
使命を全うするべく全精力を傾けて命の輝きを発散し尽くすことです。

そのような花の
姿から、我々は生命力の逞しさや素晴らしさを感じ取り驚嘆するので

しょう。

ですから、花の美しさというのは単に姿形や色にあるのではなく、あらゆる環境に晒

れながらも、その置かれた状況に適応すべく、命の開花と種に存続のために戦い

ぬき、
咲き誇り、やがて枯れ果て大地に戻り行く命の循環のなかに、命の尊さや素

晴らしさを
教えられ、それを「内奥の美」「至高の美」として認識するのです。

更に、生きた花の醸しだす雰囲気や、その表情にも我々は美を見出しています。で

から花に対して、その外面的な美のみ追求するだけでは花の本質的な美や命の

美しさ
は表現できないのです。

では、生きた花の美を写真で表現するにはどうすればよいのでしょうか?

端的に言いますと、見る側、つまり撮影者の花を見る命の問題であり、感受性の問

であって、その人の感性で感受されたイメージを表現することによって花の命の

輝きを
新たに生みだすことなのです。つまり撮影者がその花に何を感じ、何をイメー

ジするか
ということなのですが、これを逆観しますと、「花が撮影者にどう働きかけた

か?」又、「
花がどう話し掛けたか?」ということでもあります。

このように花の本質美を表現するということは、撮影者がその花から何をメッセイジと

して受け止め、それをどう表現するかということなのであって、その為に如何に技術

や創
意工夫を凝らし、新たな花の命を開花させるかということです。

このように見てきますと、花の美を実物から変容することが花の命を生かすように思

れるでしょし、又、それは花の真の姿を歪めることに過ぎないのでは、と。事実そう

なの
です。

しかし、美という概念は客観普遍のものではありません。美そのものは人間の思考を

外しては存在しません。つまり、もの自体に美が備わっているのではなく、我々人間

そのものに美を認めるかどうかでその美が存在できるのです。従ってものの美は

見る
側の美意識や美的価値観の浅深によって左右され変容されることになります。

故に、一つの普遍的な美は存在しませんし、千差万別の美があって当然で、美に対

る尺度は定まり得ないということになります。実際のところ花を見てもわかるように

何千
万という種類があり、色や形も無数に近い生態を有しています。その一々は、

人間の
側から見ればそれぞれの固体美を競っているように見えますし、好き嫌いを

別にして無
数の美が存在することになります。人間がその一々にどう感じ、どうイメー

ジするかとい
うところに美の問題があり、又、それをどう表現していくかということが芸

術としての美の
追求となります。

このように美を追求するということは、単にものの有りのままを表現するということで

なく、作者の美意識を高め磨きあげることによる美の探求と創造なのです。

一輪の花を作者なりの美に対する感性と、表現としての技術によって、その美を変容

更なる美として開花させるために表象化することが新しい美の誕生となるのです。

このことはとりもなおさず、美の多様化と、その一々の深化に向かうことが芸術として

あり方であり、価値なのではないでしょうか。

美は人類にとって最大の価値ある概念であり、最大の救済となるものです。中でも

至高
の美は人格としての美だといわれています。故に、芸術とはものの美の追求で

あると同
に人格としての美の追求であるということを意味するものではないでしょう

か。


『花を撮るもの 花を撮して花を写さず その感性を映すのみ』


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