Index                                                                 Next

花の『写心』について

<写花の心得>

花がそこに咲いている。語ることなく、媚も売らず、只ひたすらに咲いている。

しかし、花は働きかけている。

見るものの心に呼応して、その姿を変幻させている。

「美しい!」 「可愛い!」 「健気だ!」・・・・・云々。

これらはすべて見るものの心根による。

「花は花にして、すでにその花にあらず。撮り手の感性にその身を委ねる。」

花を撮るもの、「花を撮して、花を写さず、その感性を映すのみ。」

これぞ<写花の心得なり>

<なぜ花は美しいのか?>

「花はなぜ美しいのでしょうか?」 理由は多々あると思いますが、先ず第一に挙げ

るとするならば、「花は生きているから美しい!」ということではないかと考えます。

花は、写真を撮るものにとっては格好の被写体です。美しいから撮るのであり、単純

明快な理由です。しかし単に花を写したから、或いはその姿形を微細に描写したから

といっても、元の花の美しさには及ばないでしょう。

何故ならそれは単なるコピーでしかないからです。このことでよく耳にする言葉があ

ります。「花はやはり生きた実物の方が良い」と。つまり、写真では生きていないとい

うのです。


では、なぜ生きている花が美しく、生きてなければ美しくないのでしょうか? この辺

りのことをよく考えてみなければ、写真で花の美を表現するのは難しくなります。
 

ところで花が生きているということは、土に根付き、光を浴び、風雨に打たれ、まさに

呼吸している状態をいうのですが、それは周囲の
境に必死に適応し、その命と使

命を全うするべく、全精力を傾
けて命の輝きを発散し尽くすことです

我々は、そのような花の姿から、生命力の逞しさや素晴らしさを感じ取り、驚嘆する

のでしょう。


ですから、花の美しさというのは単に姿・形や色にあるのではなく、あらゆる環境に

晒されながらも、その置かれた状況に適応すべく、命の開花と種の存続の為に戦い

ぬき、咲き誇り、やがて枯れ果て大地に戻り行く。

我々は、その花の命の循環のなかに、「生命の尊さや素晴らしさ」を教えられ、それ

を「内奥の美」、「至高の美」として認識するのではないでしょうか。


更に、生きた花の醸しだす雰囲気や、その表情にも我々は美を見出しています。

ですから花に対して、その外面的な美のみ追求するだけでは花の本質的な美や


美しさは表現できないのです。

<写心で花を生かすには>

では、花を生かすにはどうすれば良いのでしょうか?

上述の「写花の心得」にも書いていますが「花は撮り手の感性にその身を委ねる」

のです。

即ち、花は撮り手にその生命を預けるわけです。

ですから撮り手はその花に応えて「写心」に生命を継いでやらなければなりません。

撮り手がその花から受けた印象や想い、また思いやりやイメージ等を「写心」として、

新しい魂を入れてやることです。

このことがその花の新しい生命の開花となるのです。

花の「写心」に生を与えるということは、

その花の姿形を借りて、撮り手の想いやイメージ等を写すということにほかなら

ないのです。


私は花を「写心」する時は、常にこのスタンスを心掛けています。

また、私の作品をご鑑賞いただくときには、このことを念頭においてご覧いただけれ

ばまことに嬉しい限りです。
                                            
                                            Shudou